こんにちは、スタッフの鈴木です。

年末年始を迎えるこの時期は祖父母のいる故郷に帰省される方も多いと思います。

私が生まれた時には既に父方、母方ともに祖父が他界していたのでいつもおじいちゃんが居たらどんな感じだったんだろうと考えることがあります。

 

私は、父方の祖父の命日に生まれています。

私が生まれたのは祖父が亡くなった14年後ですが、小さいころから伯母達に

「あなたはお父さん(祖父)にそっくりね。生まれ変わりだわ。」と言われることがあり、父からも「お前の字は親父にそっくりだ」と言われるのでなぜか会ったことはないけど不思議なつながりを感じています。

父は祖父の話になるとあまり話したがらないので祖父が亡くなった年にはどんなことがあったのか、祖父はどんなことを思っていたのか「過去の新聞」から辿ってみたいと思うようになりました。

祖父は明治生まれなので誕生日は難しそうなのでせめて私の誕生日と同じ日である命日の「過去の新聞」を読んでみたいです。

祖父は新聞を読むことが日課で必ず全ページ隅から隅まで読んでいたと聞いています。きっと命日の日の朝刊も読んだはずなので、私も過去の同じ新聞を読んでみたいです。

命日の過去の新聞を読みたいなんていうと不謹慎と思われるかもしれませんが、祖父が読んだであろう過去の新聞を読むことで祖父のことを何か少しでも感じとれたら、と思ったからです。

祖父は命日のその日、夜に仕事の会合があり、帰宅途中に交通事故に遭い亡くなりました。歩道を歩いていた祖父も飲酒運転だったバイクの運転手の人も亡くなったそうです。祖父は近所や仕事仲間からも慕われ、とても優しく、一人息子の父には相当甘かったそうです。

父にとっても祖父は自慢のお父さんだったのだと思います。事故当日や葬儀の際の祖母や父の様子はみていられなかった、と伯母達が言っていました。

私も小さいころ父に祖父のことを尋ねると顔が暗くなり言葉少なになるので子供心にあまり聞いてはいけないのだと思いました。

祖父の話になると父は良い思い出より真っ先に事故のことを思い出してしまうのだと思います。

 

父に祖父の話を聞くことは難しいけれど、過去の新聞を通して祖父が生きた時代を読み返すことができます。

インターネットもそうですが文明の利器って本当にすごいなぁと思います。

昨今、新聞の需要が激減したというニュースを見ますが、こうしてみると現在の新聞だけでなく「過去の新聞」からも様々なことが学べるので、新聞はなくなっては困る、ずっと続いていって欲しいものだと感じています。